*実家の茶の間 新たな出発(14)*
<「活動7周年」 歩みを振り返る節目①>
―メインの「写真展」へ みんなが協力―
―「見えない力 ご近所の支援にも光」―
<「特別警報」全県拡大にも機敏に対応>
9月も半ばを迎え、新型コロナウイルスの感染拡大がようやく下火になる気配が出てきた。国は9月いっぱいにまで延期した「緊急事態宣言」の今後を考え始め、新潟県は全県に拡大した「特別警報」を予定期限の16日で解除する方針を打ち出した。ただ、今も新潟市の感染者減少スピードが緩いことが気懸かりだ。そんな中、新潟市の「実家の茶の間・紫竹」では、「活動休止中」の看板を掛けながらも、「来る人、訪れる人は拒まず」の姿勢を保っている。このやり方は、運営委員会代表の河田珪子さんがお当番さんらの意見を聞きながら、みんなで決めたものだ。
写真=参加費は300円が復活した。実家の茶の間の対応はいつも柔軟だ
新潟県の「特別警報・全県拡大」にも機敏に対応した実家の茶の間では、いったん「運営日にお当番さんは置かず、利用料も取らない」との方向性を打ち出したが、訪れる方の状況を見て9月第2週からは「お当番さん復活。利用料は100円」で対応することにした。さらに20日からは「利用料300円」に正常化。お昼の復活なども利用者の声を聞きながら、タイミングを計っている。県や新潟市の感染対応策の情報はしっかり取りながら、「コロナ感染に対しても、利用者さんのことを第一に考え、柔軟に対応しましょう」との方針通り、しなやかな対応を続けている。しなやかな対応の裏には、「ここは一般の地域の茶の間ではありません。地域包括ケア推進のモデルハウスとしての役割を常に忘れず、対応を考え、実践していくべき」との河田チームの揺るがぬ信念があるように感じるし、地域にとって「欠かすことのできない、エッセンシャルな場」との自負もあるようだ。
<「しっかりと記録しておこう」>
実家の茶の間が、この紫竹地区で活動を始めてから10月で丸7年になる。いま、河田さんらは「コロナ禍の中での茶の間運営」という難しい局面にありながら、「実家の茶の間7周年」の記念事業について思いを巡らしている。それも「地域包括ケア推進モデルハウスとしての歩みを、しっかりと記録しておくべき」との考えがあるからだ。13日午前10時の実家の茶の間。この日も朝のミーティングが始まった。いつものように茶の間運営に当たっての注意事項をこの日のお当番さんが読み上げ、みんなで確認する。感染予防などの徹底を互いに呼び掛けた後、河田さんが「7周年事業」について改めてみんなの意見を聞いた。
これまでの周年事業は、いつも賑やかだった。市長を招き、地域の代表らに来てもらって、お弁当や紅白まんじゅうを食べて祝ってきた。5周年の時は百数十人もが参加して、「茶の間の床が抜けるのでは…」と心配するほどだった。コロナに苦しんだ昨年の6周年の時でも中原八一市長に来てもらい、みんなでカレーライスを味わって楽しんだ。「しかし、今年はそうはいかない」ことは、みんなで確認済みだ。「密にならぬようにして、大勢が集まらずに楽しめ、これまでの歩みを振り返る7周年にしよう」との方向性の下、7周年事業のメイン候補に挙がってきたのが「写真展」だった。
写真=「活動7周年」の節目に向けて、集められた写真の数々。盲導犬の姿も見られる
河田さんたちはコロナ禍での茶の間運営で、「ここは地域包括ケアのモデルハウスなんだ」との認識をさらに深めていた。「みんな、できることは自分でやりながら、地域で助け合って生きていく―そんなモデルを紫竹の地につくれたことに感謝し、これまでの歩みを振り返るには写真展が一番良い」―それが大方の意見だった。河田さんも基本的に賛成で、これまで撮り続けてくれた写真の整理・分類に入るなど、下準備を進めていた。
<「写真には写っていないものがある」>
幸い地域のサポーターの1人、島貫貞夫さんらが節目節目で写真を撮ってきてくれたし、それを大きく引き伸ばすのに協力してくれる人もいた。コロナ前の写真の大半は、大勢の人で賑わう茶の間の様子を活写しており、笑顔のあふれるものが多かった。「前は、こんなにぎゅうぎゅう詰めだったんだよね」「子どもたちも、しょっちゅう来てくれて、楽しかったわ」などと、写真を見ながら話が弾んだ。地域の学校の子どもたち、こども園の園児たち、みんな実家の茶の間に集って、お年寄りたちを楽しませてくれた。それだけでなく、自治会や老人クラブ、お嫁さんの会などが実家の茶の間を重宝して使ってくれていた。「地域の皆さんから来ていただいて、ここを地域の宝に育てていただいた。だから、茶の間の活動でなくとも、皆さんがここを使っていただいている写真もできるだけ探してもらって、飾った方がいいね」とも話し合っていた。
写真=集められた写真を見る河田珪子さん
<「ここには写っていないものがある」>
写真を分類し、これまでの歩みと重ね合わせているうち、河田さんは「ここには写っていないものがある」ことに気づいた。それは「実家の茶の間・紫竹」のご近所の方たちのことだった。「いろんな方から来ていただき、ここを地域の宝に育てていただいたのは、すごいこと、ありがたいことです。でも、その前に一番身近で大切な、ご近所さんとの関係があるわけですよね。地域の方々が長い生活の中で積み上げてきた関係性・恩恵の財産をいただいたからこそ、実家の茶の間を運営してこられたはず。でも、私たちはそこにあんまり光を当ててこなかったんじゃないでしょうか」―13日の朝のミーティングで、河田さんはお当番さんらにこう語り掛けた。
<お茶一杯飲んでいない方たち>
そんな河田さんの言葉に、実家の茶の間が歩み出したころを知るお当番さんたちはみんな、当時のことを思い出していた。取り壊し寸前の家を模様替えし始めた時、「一体何ができるんだろう」「新興宗教の関係じゃないのか」―などの疑問が地域に広がった。その疑問を一つひとつ解消し、地域の協力を得るよう、河田さんたちは努めてきた。昔を知らないお当番さんは、今のご近所さんの顔を思い浮かべていた。大雪の時、実家の茶の間の前の除雪を手伝ってくれる人、自分の駐車場を「空いている時は、いつでもどうぞ」と貸してくれる人、日用品や衣類を茶の間のバザーに寄付してくれる人、家の畑の野菜を持ってきてくれる人など―みんな茶の間に入ってお茶の一杯も飲んでいない方たちだった。
「私たちが使う、実家の茶の間のすぐ前の駐車場もご近所さんが貸してくれましたし、大家さんは消雪パイプも設置してくれた。でも、その方たちは茶の間にお入りいただいてないから、当然、写真にも写っていませんよね」と話を続ける河田さん。お当番の渡部明美さんが、すかさず反応した。「その関係を知っていただくにはどうすれば良いでしょうか?写真はないわけですから、他の方法が必要です。もう、あまり時間がないので、すぐに始めないと」と提起する。まずは、実家の茶の間を中心に「向こう3軒、両隣」をはじめとする「ご近所さん」の顔を一人ひとり思い浮かべつつ、お世話になったことをまとめる作業を始めることにした。7周年の記念展に、また一つ、新しい要素が加わった。
写真=「7周年事業」の準備を進める傍ら、一般の活動も怠りなく進む。9月20日には「敬老の日」記念としてマスクが用意され、お当番さんらが参加者に配布していた
<青空記者の目>
「実家の茶の間・紫竹」の活動7周年の記念事業のメインは「写真展」に決まった。7年間に撮りためた写真を眺めるだけでも、これまでの実家の茶の間の歩みを振り返る素晴らしい記念展になるはずだ。しかし、河田チームの素晴らしいところは、それを単なる「回顧展」に終わらせない点にある。「写真には写っていない、ご近所さんからのご支援をどう紹介するか」へ、視野は広がった。それは、河田珪子さんが以前に運営していた「うちの実家」などの時から、「ご近所さんとの関係」を大切にしていたからこそ浮かぶ発想だ。かつて河田さんは「ご近所との関係づくり」を「小石を敷き詰めるように」と表現したことがある。「実家の茶の間・紫竹」は、その周りに「丁寧に小石が敷き詰められているからこそ」7年にわたって機能しているのだ。
実家の茶の間の「内部だけ」、「来る人だけ」を気に懸けているようでは、地域包括ケア推進のモデルハウスにはなれないのだろう。河田チームが「歩いて15分以内の助け合い」を目指す「お互いさま・新潟」を立ち上げた動機も、「実家の茶の間に来ることができない方をどうする」との問題意識からだった。「茶の間でお茶の一杯も飲んでいない方たち」にも思いを巡らした、河田チームの7周年記念の展開が楽しみだ。
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